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第3回 バーテンダーが教える バーの教科書

第1回、第2回とバーでのマナーについて書いてきた。

今回、記事を書くにあたって、話を聞かせてくれたのは麻布十番にある「ザ バー オールド アンド ニュー アザブ」のオーナーである草川知浩氏。草川氏は高校卒業と同時に帝国ホテルに就職し、そこでバーテンダーの仕事と出会う。また迎賓館担当としてアメリカ、ロシア、オーストリア、ポルトガル、バングラデシュ、韓国という多くの国に対して、女王や大統領、首相への接待も経験しており、まさにおもてなしのプロといえるだろう。


第3回の今回は、草川氏の人となりについて紹介していこう。

「私は愛媛出身で、みかんを回収するアルバイトをしたこともあり、その反動で華やかな都会での仕事に憧れていました。東京で仕事をしたいと思っていたときに帝国ホテルの求人があったんですよ。当時、高校の先生には落ちると言われていたので、まさか通るとは…という感じでした」。

当時の草川氏は、野球少年。ホテルへの内定が出たほぼ同じころに、なんとプロ野球への誘いもあり、それに悩まされたのだという。

「ドラフトでは選ばれなかったのですが、プロ野球球団からの誘いが、丁度帝国ホテルの就職試験のあとにありました。まだホテルの合否は決まっていなかったのですが、これには悩まされましたね。親は好きな道に行けばいいというスタンスでしたから。私は帝国ホテルを選びました。自信がなかったんでしょうね。

でも、いまだに思うんですが、一度挑戦してみればよかったかもしれません。ホテルもプロ野球もどちらも知らない世界だったから不安でしたが、自分はもしかしたら安全な未来を選んだのでは…と今でも考えてしまいます」。

だが、この選択が後に教訓となり、草川氏は「一度は挑戦してみる。ダメなら他の道を探ればいい」という考えを持つようになったという。



帝国ホテルで初めて出会う「バーテンダー」という仕事
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帝国ホテルに就職した草川氏は最初はレストランに配属された。

「入社してから、研修期間中に希望職種を提出するのですが、田舎育ちの私にとって仕事内容は想像もつかないものでした。唯一わかったのがウエイターの仕事でした。帝国ホテルでこんな仕事がしたいという、具体的な希望は持ち合わせていなかったので、仕事内容が想像できるウエイターを選びました。念願叶ってというのはさておき、レストランに配属が決まったのです。

ウィスキーやカクテルの注文があると、隣接するバーにオーダーします。初めて、バーテンダーの仕事を見たんです。『すごくかっこいい』のひと言でした。衝撃的で憧れましたね。そこで3年を過ごし、異動希望で迷いなくバーテンダーを希望し、バーに配属されました」。

バーに配属されたものの、最初は何もわからなかったという。だが、バーテンダーの仕事をそばで見る中で、草川氏はどんどんバーやカクテルに魅了されていった。


「一番印象に残っているのは『マウントフジ』という帝国ホテルオリジナルのカクテルです。白くてきれいなカクテルを見て、こういうお酒を作ってみたいなと思いました。

15年ほど前までは、帝国ホテルのバーテンダーは階級があったんです。ウエイターと同様の仕事をするバーウエイターからはじまり、サブバーテンダー、バーテンダー、シニアバーテンダー、チーフバーテンダー、主事、支配人まで7階級ありました。階級により変わるユニフォームにも憧れましたね。黄土色のバーコード(丈が短いジャケット)の袖にラインが増えていくんですよ。ラインのないバーウエイターから1本、2本と増えていき、シニアバーテンダーになるとコートの色がこげ茶、チーフバーテンダーになると黒に変わるんです。主事になるとタキシードですね。

それを知っている顧客は、ラインが増え、ユニフォームが変わっていくと『おめでとう』と言ってくれたものです。ユニフォームはホテルマン、バーテンダーとしての質、技能の高さを表すものでした。今では簡素化されていることが少し寂しい気持ちです。

19時ごろバータイムが始まると、メインバーテンダーとサブバーテンダーとよばれる2名でカウンター業務を行います。分業制ですね。カウンターに入ることを許されるのはサブバーテンダー以上なのですが、サブバーテンダーは、メインバーテンダーがスムーズに仕事を行えるように、やることが山のようにあるんですよ。カクテルに必要な材料やウイスキー類のボトルの用意、シェーキング、カクテルデコレーション、接客などです。メインバーテンダーはバーにおいての司令塔の役割。カクテルやウイスキーを調合し、円滑なサービスができるように指示をしていきます」。



「帝国ホテルのバーテンダーはメジャーカップ(ポニーアンドジガー)を使いません。ショットが切れないと一人前と見なされず、サブバーテンダーはカウンターに入ってもお酒を作ることは許されませんでした」。

草川氏も練習を重ねたそうだが、バーテンダーは客に育てられると実感した出来事があったという。

「サブバーテンダーのころですが、お客さんの前でシャイカーを落としたことあるんです。当時、私は22歳ごろでなかなかうまく振れず、一生懸命になっていました。振っている最中にシェイカーを下に落としてしまったんです。お客様のほうに飛ばないように振らないといけないので、下に落ちたのが不幸中の幸いというところでしょうか。

そのときに私が対応していたのは常連の方だったので、そんな私を見ても『大丈夫大丈夫。みんなやってきたことだから』と言っていただき、救われました。メインバーテンダーもそういう常連のお客様に対応させてくれたのでしょう。お客様に育ててもらう、それを実感した出来事でしたね」。



下積みを経てようやくバーテンダーになった草川氏はその後、シニア、チーフバーテンダーとなり、帝国ホテル大阪での4年間はアシスタントマネージャーに。東京に帰任後、主任、主事と昇格していく。順風満帆に見えたが、39歳のときに大きな決断をすることになる。






帝国ホテルを経て、自分のお店を持つ
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2006年12月に帝国ホテルを円満退社した草川氏は2007年3月に麻布十番で「ザ バー オールド アンド ニュー アザブ」をオープンさせた。一体なぜ、自分のお店を開こうと思ったのだろう。

「入社して20年。マネージメントの仕事も増え始めたころ、自分はこのまま帝国ホテルの人間として終わっていくのかな、と考えました。帝国ホテルだからこそ、国内外のVIP、著名人の接客、迎賓館勤務にも携わることができました。貴重な経験をさせていただき感謝しています。しかし、どんな仕事をしても帝国ホテルスタッフとしての仕事なんです。経験の中で、もっと自分自身を表現できる仕事をしたいと思いました。自分の責任で仕事をするには、独立の道を考えるしかなかったんです。

もちろん悩みはありました。帝国ホテルに勤務していれば、社会的信用、生活の安定があります。独立すればそれがゼロになるわけですから。それでもやはり独立を選びました。私にとってプロの定義は、自分自身の仕事の評価で報酬を頂くことです。会社に評価されるのではなく、お客様に評価を頂く。平凡な人生より、刺激的な人生を歩みたかったのでしょうね。

でも、そんなときに思い出したのがプロ野球を諦めたときのことです。あのときに自分は安全な道を選んだのかもしれないという思いがずっとありました。なので、『一度は挑戦してみる。ダメなら他の道を探ればいい』と独立することを決めました。




草川氏が選んだのは、慣れ親しんだ銀座ではなく、麻布十番だった。銀座で開こうとは思わなかったという。

「麻布十番にバーを開業し、多くの方に支えられ8年目を迎えた今、よく言われることがあります。『成功しているね』と。非常に有難い言葉ですが、私は全くそうは思いません。成功とは結果であって、まだまだ継続中ですから。失敗したと思わないようにやるだけです。それにまだまだ分からない事ばかりです。『接客』とはなんだろうといまだに考えていますから。ホテル勤務時から深く考えていますけど、答えは見つからないでしょうね。今言えることは、接客において基本はあるけど正解はない。ということでしょうか。

麻布十番にはプライベートでも遊びにきていたし、街も好きでした。企業や飲食店、そして住民のバランスもいいと感じていました。一方で、銀座は私には向いていません。ホテルが近いから楽じゃないかという人もいましたが、ホテルに行くお客様は帝国ホテルのバーだから行くんです。それがお客様のステータスでもあるわけですから。

ホテルでお世話になったお客様に、開業のご案内はしてないんです。もちろん、退社のご挨拶はさせていただきましたが、バーをやるとは言わなかったんです。地域密着が基本にありましたから」。





バーを楽しめる一助に

最後に、これからバーに行こうと思っている人にメッセージを話してもらった。

「バーにはいろいろなスタイルがあります。それと同じようにお客様にもスタイルがあります。自分に合うバーを探求してほしと思います。バーを上手に利用することにより世界観が広がっていくことでしょう。お酒と出会い、人と出会う。バーを楽しむことをライフスタイルに入れていただければ、より豊かな人生になるのではないでしょうか。

お酒と向き合い、人と向き合うことの楽しさを『バー』を通じて感じていただければ幸いです。私はバーテンダーとしてお客様の豊かなライフスタイルの一助を担うことが出来るよう、精進してまいります。ありがとうございました」。


執筆:中村祐介


バーテンダーが教える バーの教科書 連載
第1回
第2回
第3回


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