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第4回 TOKYOラーメン、そのオープンソースの思想

「頑固職人、こだわりの味」
「秘伝のタレ」
「門外不出のスープレシピ」
「粉の配合は企業秘密」
「のれん分けで味を継承」

かつてラーメン作りはこのようなパンチラインで彩られた。厨房はさながら奥の院のごとし。密技によって組み上げられし至宝の一杯。昭和のTOKYOラーメンは、まさに秘史の中にあったのだ。

そして、現代TOKYO。
ラーメン作りの現場はどうか。気鋭店の厨房は因循姑息を吹き飛ばす、爽やかな風に満ちていた。職人たちは技術を開示し、切磋琢磨するマインドで通底する。そこには「オープンソース」の思想が燦然と輝く。

オープンソース。
ご存じ、ソフトウェアのソースコードをフリー(無償)で公開し、それを誰もがフリー(自由)に改良し、再配布することを認める開発方式のこと。

そのイズムを体現する一人の職人にご登場いただこうTOKYOラーメンシーン最高峰のアワード「業界最高権威TRY認定 第14回ラーメン大賞」にて新人大賞・しょう油新人賞・つけ麺新人賞の三冠を達成した『らぁ麺 やまぐち』山口裕史氏だ。

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『らぁ麺 やまぐち』店主日記

山口氏は、新人賞受賞直後に発売されたプロユースの技術本『ラーメンつけめん 評判店の調理技術』(旭屋出版)にて、看板メニュー「鶏そば」の製法を開示。鶏スープのレシピから、生揚げ醤油を火入れする温度まで述べている。もちろん、詳密な食材分量は明示していないし、言語化、体系化できないコアな部分もあるだろう。しかし、この技術本を熟読したら、2013年ニューカマー最高峰の味作りがほぼつかめるのは確かだ。

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「レシピをオープンにすることに抵抗はありませんでした。私自身、この技術本のシリーズで勉強してきたので、何かでお役に立てればうれしかったですし。もっとも、製法をクローズにしても、ちゃんとした職人が食べたら、ある程度レシピは推察できるものですよ。

現在のラーメンは、作り手、食べ手とも日進月歩でレベルアップしています。それが、東京では特に顕著。私たち職人は下りのエスカレーターに乗っているようなものです。登り続けていても、なお現状維持です。製法を惰性で守っていくだけでは、作り上げる一杯の質はむしろ下降してしまうでしょう。

私の故郷である福島でもそうなのですが、進化を止めてしまったラーメンを見るのは非常に残念なことです。レシピをオープンにしたほうが職人仲間と刺激を与え合い、切磋琢磨できる。秘伝にするより、技術を向上できるメリットのほうがはるかに大きいのです」

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自慢の「鶏そば」を実食してみよう。

比内地鶏、いわて清流若どりをブレンドした鶏のみのスープ。表面はつややかにきらめき、香りは芳醇そのもの。レンゲを口に運ぶ前から、視覚でも嗅覚でも魅惑の味世界に引き込まれてしまう。

スープに起用するのは鶏ガラ、丸鶏のみ。鶏の香りを前面に押し出すため、野菜など他の食材は一切加えていない。鶏オンリーの芳醇な香り、コクが存分に味わえる一杯だ。葛粉をまぶしてしっとり仕上げた鶏チャーシュー、低温調理で肉本来の質感を生かした豚チャーシュー。京都の製麺所「麺屋 棣鄂」と共同開発した麺。細部に至るまで隙がない。

1~2か月ごとにレシピを見直すなど、味のブラッシュアップは余念がない山口氏。開業当初は生揚げ醤油の薫りを強調していたが、醤油が立ちすぎたと感じたため、起用する地鶏の変更、濃度調整を試行錯誤。鶏のコクを高める方向にシフトした。しかし、鶏スープは濃度を上げすぎるとキレを欠く。現在はキレと濃度の最適解を導き出し、最良と思えるバランスにたどり着いた。「チューニング」と呼ぶにふさわしい、繊細な調律作業がそこにある。


もう一杯、山口氏自慢のメニュー「鶏つけそば」を頂こう。一見、「鶏そば」つけ麺バージョンとも思える。しかし、麺皿を注視して驚き。その麺は、美麗なぬめりを帯びた水につかっているではないか。

利尻昆布の水ダシ。いわゆる「昆布水」だ。昆布ダシの旨みファンデーションにつかった麺は、つけ汁をくぐることで、グラマラスな鶏の旨みをまとう。

口に運ぶと――魔術的なまでの旨み多重奏。鶏×昆布の絶品口中調味の実現だ。貞淑にして艶やか。するりとした麺の美味しさとあいまって、官能的なシルエットでたたずむつけ麺がそこにいる。

昨今、つけ麺シーンの主流は豚骨の濃度を高め、強力な魚介フレーバーを上塗りした「豚骨魚介つけ麺」が隆盛を極める。その旨みの折り重なりは油絵を想起させ、圧倒的なインパクトで迫りくる。かたや、昆布水つけ麺は軽やかな筆運びが冴える水彩画のよう。各地で有力職人が研究を重ねており、今では細つけ麺の一潮流して勃興してきた。この作品を完成させた山口氏も「つけ麺にはまだまだ可能性がある」と語る。

「日本蕎麦の話ですが、蕎麦っ食いになればなるほど、あったかい汁そばより、もりそばに傾斜します。それは、“そば”そのものの風味、のど越しを求めるようになるからです。しかし、ラーメン、つけ麺の食べられ方は、まだその境地には達していません。つけ汁の濃度、旨みで食べさせるのが主流なのです。麺の食感、のど越しを感じさせ、より美味しくする食べ方には開発の余地があると思います。つけ麺はまだまだ進化していくでしょう」

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昆布水ヴァージョンの最新モードを前に、つけ麺の歴史をプレイバックしていく。

創始者は「ラーメンの神様」として畏敬の念を集める山岸一雄氏。1955年、彼は賄いメニューをベースにつけ麺(メニュー名は「もりそば」)を考案し、中野大勝軒で発売し始める。そして、1961年に東池袋大勝軒を創業。以来、中華そばとの二枚看板で人気店になった。

そして、昭和40年代。チェーン展開した「つけめん大王」が広くこのスタイルを伝播。かくして「つけ麺」はキャズムを越える。

しかし、山岸氏が業界でリスペクトされるのは「つけ麺開発」の功績だけではない。彼は、後進につけ麺人気店への道筋を開いた。実際に店舗で修業した弟子の系譜は数えきれないし、メディアを通してもその遺伝子を蒔いてきた。それが、1990年に行われた、料理雑誌『dancyu』誌上での「もりそば」レシピ全面開示。『バカうまラーメン 花の季』(栃木県)など、このレシピに触発されて開業した店主も多い。首都圏のアーリーアダプターに愛好されていたつけ麺は、山岸氏のオープンソース的思想によって全国に伝播したのである。

オープンソースの思想はTOKYOラーメンを伸展させ、麺料理としての進化をもたらした。では、来たるべきシーンの未来はどうか。ソフトウェア開発のように、プロアマを問わずソースに手を加え、進化させていく動きはないのか。

その萌芽はインターネットとラーメンが交わる象限にある。ネットを中心に情報交換、発信を行うラーメン自作派こそ、それだ。

自作派の代表格・たけあきさんに話を聞く。彼は料理好きが高じてラーメン自作派に。寸胴でスープを仕込み、チャーシューを煮込むのはもちろん、今やブレンドした小麦粉で麺を打つほどの入れ込みようだ。

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【鶏と煮干の醤油ラーメン~九十九里煮干~】
味探求 自作ラーメンの旅

「SNSやブログを中心に、自作ラーメンの情報発信量は爆発的に増加しています。北は北海道から南は沖縄まで、自作ラーメンマニアの数は確実に増えています。

ただ、まだ世間一般では『自宅でラーメンを作る』ことの認知度は低い。一部のみの珍しい趣味、という域を脱していないのが現実です。それだけに、自作活動と並行して情報発信することで、認知度アップの一端を担いたいと考えています。

ビギナーがとっつきやすい簡単なレシピ、中上級者が興味を示すような少し高度なもの、両軸で公開を続けているのはそのためですね」

レシピを秘匿せずにネット上で開示していくこと。そのトライアルは作り手の広がりをもたらし、ラーメン文化を豊穣にしていく。

「私が公開したレシピ、取り組みが少しでも多くの人の目に触れることで、興味を持っていただければ何よりです。それで自作ラーメンの裾野が広がり、世間の認知度が少しでも上がっていけば」

先述の『らぁ麺やまぐち』山口氏も自作派のバックボーンを持つ。セミプロ自作派がアップするレシピアーカイブもまた、TOKYOラーメンの知的資産になり、作り手・食べ手を巻き込んだ技術向上を後押ししていくだろう。

三日食わざれば、アルチザンたちは一段も二段も上を行く。
彼らはパテントを主張し、既得権を言い募るほど暇ではない。ワクワクするアイデアを次々に見つけては、厨房で次々にトライし、技術交流を続けていく。オープンソースの理想形が、そこにあるのだ――。


【TOKYOラーメン連載目次】
第4回 TOKYOラーメン、そのオープンソースの思想
第3回 「情報を食う」の、その先へ――TOKYOラーメンGeeksの今
第2回 どこから来たのか、TOKYOラーメン
第1回 原色の時代を迎えたラーメン

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